2009年 03月 19日
『ウィキッド』2nd
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あっという間に、前のエントリからこんなに経って……
先週末は思い切り遊んできました。
土曜はサークル同期の誕生日会。
日曜日は、二度目の『ウィキッド』観劇。
どちらも楽しかったですよいやはや。
やっぱり、お芝居は何度観てもいいですね。
二度観ると、また違った見方ができたり、
やっぱり前と同じ感想を持つ部分があったり。
今回はCDを購入しました。
エンドレスリピートで聞いてます。
ウィキッドの曲は、難しいものが多いですね。言葉が音に乗り切ってなくて、上手く音が取れません。
が、CDを買ったことで新たな発見もありました。
ネタバレになるので、内容はMOREで。
でも、演劇の何が楽しいって、自分なりの解釈や新たな発見があることが一番なわけで、
CD買って大正解でした♪
ブリキのきこりは「心」を。
ライオンは「勇気」を。
案山子は「脳みそ」を。
それぞれ持たないんですよね。
『ウィキ』の中では、案山子に何が欠けているのか結局わからなかった。
と、閉演後は思ったのですが、
CDを聞いていたら気がつきました。
スターダストダンスホールで踊る学生たちのシーンで、「脳みそ溜め込むのはバカ」「脳みそ捨て去って踊り明かそう♪」というような歌詞が。
ウィキッドの魔法とは関係なく、案山子な彼は脳みそが欠けているんですね。
細かい小ネタでした。
さて。
前に『ウィキ』を観た時にも感じたことですが、
あのお話は、グリンダにとってとても残酷だと思うんです。
エルファバは、確かに色々と業を背負って産まれてきて、辛い目にもあって、孤独で戦ったりしているわけですが、
グリンダだって、黙ってても皆の人気者で幸せ一杯♪ というわけじゃなくて、人気者になるために努力してると思うのです。
グリンダがエルファバに人気者になる術を教える歌があるように。
同じように頑張っている、素敵な女の子二人のお話。
二人はあくまで対等で、平等なんだと、個人的にはそう思って観ているんですよ。
ラストに、
エルファバはフィエロと一緒にオズを去って行きます。どこかで、二人で暮らすのでしょう。
フィエロは確かに、もう全うな「人」ではなくなってしまっているけれど、
幸せ一杯問題なし! とはいかないだろうけど。
でも、二人で新しい道を築いて、歩いていくわけです。
一方のグリンダは、
エルファバの想いを託され、オズの希望として、善き魔女として、生きていくことを決意します。
フィエロは死んだと思っているし、エルファバも死んでしまった、またはもう二度と逢えない遠くへ行ってしまった、と信じているわけです。
まさか、どこかオズから遠く離れた地で、彼らが生きているなんて夢にも思わず。
これを残酷だと思うのは、双方の行く末を知っている観客ならではの感想でしょうか。
グリンダがもし、フィエロが生きていることを知ったら? エルファバが生きていることを知ったら?
なんだか、彼女だけを「人柱」につなぎ止めたまま、去っていく二人を眺めているのは
複雑な気持ちです。
これは、一回目も二回目も感じた感想。
「誰にも愛されぬまま、一人消えていくの それが、あの子の哀しい、運命〜♪」
と、グリンダは歌うけれど、エルファバはフィエロに愛されて、消えずに旅立つだけ。
グリンダは『みんな』に愛されるけれど、きっといつまでも孤独なんだろうなぁ、とね。
理不尽とまではいわないけれど、やっぱり、
グリンダにも幸せになって欲しい今日この頃です。
先週末は思い切り遊んできました。
土曜はサークル同期の誕生日会。
日曜日は、二度目の『ウィキッド』観劇。
どちらも楽しかったですよいやはや。
やっぱり、お芝居は何度観てもいいですね。
二度観ると、また違った見方ができたり、
やっぱり前と同じ感想を持つ部分があったり。
今回はCDを購入しました。
エンドレスリピートで聞いてます。
ウィキッドの曲は、難しいものが多いですね。言葉が音に乗り切ってなくて、上手く音が取れません。
が、CDを買ったことで新たな発見もありました。
ネタバレになるので、内容はMOREで。
でも、演劇の何が楽しいって、自分なりの解釈や新たな発見があることが一番なわけで、
CD買って大正解でした♪
ブリキのきこりは「心」を。
ライオンは「勇気」を。
案山子は「脳みそ」を。
それぞれ持たないんですよね。
『ウィキ』の中では、案山子に何が欠けているのか結局わからなかった。
と、閉演後は思ったのですが、
CDを聞いていたら気がつきました。
スターダストダンスホールで踊る学生たちのシーンで、「脳みそ溜め込むのはバカ」「脳みそ捨て去って踊り明かそう♪」というような歌詞が。
ウィキッドの魔法とは関係なく、案山子な彼は脳みそが欠けているんですね。
細かい小ネタでした。
さて。
前に『ウィキ』を観た時にも感じたことですが、
あのお話は、グリンダにとってとても残酷だと思うんです。
エルファバは、確かに色々と業を背負って産まれてきて、辛い目にもあって、孤独で戦ったりしているわけですが、
グリンダだって、黙ってても皆の人気者で幸せ一杯♪ というわけじゃなくて、人気者になるために努力してると思うのです。
グリンダがエルファバに人気者になる術を教える歌があるように。
同じように頑張っている、素敵な女の子二人のお話。
二人はあくまで対等で、平等なんだと、個人的にはそう思って観ているんですよ。
ラストに、
エルファバはフィエロと一緒にオズを去って行きます。どこかで、二人で暮らすのでしょう。
フィエロは確かに、もう全うな「人」ではなくなってしまっているけれど、
幸せ一杯問題なし! とはいかないだろうけど。
でも、二人で新しい道を築いて、歩いていくわけです。
一方のグリンダは、
エルファバの想いを託され、オズの希望として、善き魔女として、生きていくことを決意します。
フィエロは死んだと思っているし、エルファバも死んでしまった、またはもう二度と逢えない遠くへ行ってしまった、と信じているわけです。
まさか、どこかオズから遠く離れた地で、彼らが生きているなんて夢にも思わず。
これを残酷だと思うのは、双方の行く末を知っている観客ならではの感想でしょうか。
グリンダがもし、フィエロが生きていることを知ったら? エルファバが生きていることを知ったら?
なんだか、彼女だけを「人柱」につなぎ止めたまま、去っていく二人を眺めているのは
複雑な気持ちです。
これは、一回目も二回目も感じた感想。
「誰にも愛されぬまま、一人消えていくの それが、あの子の哀しい、運命〜♪」
と、グリンダは歌うけれど、エルファバはフィエロに愛されて、消えずに旅立つだけ。
グリンダは『みんな』に愛されるけれど、きっといつまでも孤独なんだろうなぁ、とね。
理不尽とまではいわないけれど、やっぱり、
グリンダにも幸せになって欲しい今日この頃です。
by magic15th
| 2009-03-19 00:43
| 観劇